2017
11.24

フィリピン戦跡訪問…レイテ島 2

家の近くで、頻繁に野鳥を見かけます。

小さなシジュウカラやカワラヒワ、モズの類は言うに及ばず・・・めったに見られないアカゲラや、

渡りの白鳥が、2~3羽で低空飛行していたり、(カメラを取り出しているうちに通過・・(T_T))

自宅から駅までのアスファルトの道路を、つがいの雉がカラスと一緒(?)に歩いていたり・・三角関係? (=∀=) ??

朝、通勤駅のホームにキジバトが止まっていたり・・いきなりの寒さに飛ぶことを忘れた(?)

人が通りかかっても、逃げません・・・
201711月鳩


電車の窓からは、刈り取りの終わった田んぼの中に、集団でじっとしている鷺がいたり・・・

雪景色201711そうこうしているうちに、例年よりずっと早い雪が降りました。

少し前、バンクーバーから届いた、Aさんご夫妻の嬉しいメルマガによると・・・m(__)mいつも、楽しみにしております。

バンクーバーは、11月3日に積雪があって、例年のプリンスエドワード島より早いそう。世界規模で冬が早いのか・・・



少しご紹介すると・・・11月11日、カナダの亡くなった兵士達を追悼するリメンバランスデーに参加、

アフガンでの国連PKF活動で亡くなった日系人の方のお父様とお話したそうです。

2007年に亡くなったその方の息子さんは、当時25歳・・・

ご自分の息子さんより若いことに、寄り身近に戦争で死ぬことを考えてしまいました・・・と書いておられました。





さて、フィリピン戦跡訪問・・・

レイテ島風景


レイテ海戦で生き延びた5人の元パイロットのおじさま達も、戦時中は30歳前・・・


おじ様たちと言っていますが、

一緒にフィリピンを旅をした時は、今の私より少しだけ若いのです。



レイテ2日目は、

戦時中日本軍が駐留したであろう所を、村から村へとジープニーで回ります。

レイテ島風景 (5) 取り掛かった牛車

村人の話すタガログ語の情報を、ガイドのロミさんが英語に通訳して、

ロミさんの英語を、日本語にしておじ様たちに伝えます。


レイテ島風景 (2) 今はのどかなレイテの村


行く先々、日本人兵士の碑では、お線香をたき、

戦後茶道を極めたSさんが 「一緒に飲もうや」と言って、お抹茶を立てます。

日本酒も注ぎ、日本から持ってきたお菓子をお供えして、次へ向かいます。



だんだん道が悪くなり、ジープニーは、道なき湿地を進みます。ジーン( ̄^ ̄) こんなところに駐留していたのね・・・


湿地からやや開けた細い道に出た時です・・・


目の前に、上半身裸の少年たちが飛び出してきて、ジプニーを止めてしまいました。 (;゜0゜) オ、オオカミ少年?
レイテの青年

遅々として進みませんが・・・よろしかったらポチッと m(_ _)m(古い写真ばかりで・・・)
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以前応援記事を書かせていただいた みんなの暮らし日記on line の marinさんの記事が、更新されています。

今回はサンドイッチ・・・コチラ☆ちょっと、一味違いますよ。
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2017
11.17

フィリピン戦跡訪問…レイテ島 1

寒ーい朝・・・職場の窓から見える太○山が、うっすらと雪化粧をしていました。

葉が落ちた桜の木に、カラスが寒そうに止まっています。
太平山201711月 201711月カラス

また、雪の季節がやってきます。雪かき (´-`*) ヤダなー





さてさて、古い旅行の話・・・続きです。


異国で迎える朝・・レイテ島タクロバン市の夜明けです。
レイテの夜明けホテルの窓より撮影





タクロバンの戦跡はジプニーで回ります。

ジプニーと運転手のカルロさん          甥のホーリー君
ジプニー2 ジプニー1



ガイドのロミさん、運転手のカルロさん  話せる言語は、英語 と タガログ語。

おじ様たちは、日本語のみ・・・   私は、つたない英語でその間を取り持ちます。


午前中はタクロバン市内の戦跡巡り・・

パロ海岸にある、マッカーサーのフィリピン上陸の様子をそのまま表した 等身大のモニュメント
マッカーサー上陸記念公園 マッカーサー上陸記念公園 (3)

日米両兵士を慰霊した120HILLなどを、回ります。
マッカーサー上陸記念公園 (2) レイテ島デュラッグ



当時のフィリピンはマルコス大統領の政権下・・

経済を握っているのは、たった5人と言われる独裁体制・・奥さんのイメルダ夫人はレイテ出身です。



「ここが イメルダ夫人の実家 だよ」 とカルロさんが運転席から自慢そうに言います。


道路沿いにぐるりと高い塀に囲まれたイメルダ夫人の実家は

車で5分以上走っても、途切れることない公園のようなお屋敷でした。 広い (゚□゚*)


タクロバンの理髪店
レイテの理髪店


街には、仕事がなくて、外で日向ぼっこをしている男の人がいっぱい・・・



夕食前、ホテルに戻りくつろいでいると、Mさん(元パイロットの一人)から

市場に行きたいので、カルロさんとホーリー君に連れて行ってほしいと頼んでくれと言われ

通訳?も必要なので、同行することになりました。


 観光客が一人もいない市場に足を踏み入れると・・・地元の人のエネルギッシュな日常が、ワッと襲ってくるよう・・


日本人と言うだけで注目の的         ニワトリを生きたまま抱える女性
タクロバンの市場 (2) レイテ島風景 (3)
タクロバンの市場 タクロバンの市場 (3) 

後でロミさんに聞くと、観光客には結構危ない場所だということで、呆れられました・・・

そういえば、カルロさんとホーリー君油断なく周りに気を配っていたっけ・・・

          (;一_一) 危なかったのね



・・・・でも、地元のにぎやかで活気ある市場は、とっても面白かった・・・


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2017
11.10

フィリピン戦跡訪問・・・ 真冬の東京からマニラへ

ちょっと・・いや、かなり落ち込むことがあって・・・いつもより遅い電車で、お勤め仕事に向かいます。

某放送局の、ガラス張りのビルの隣で、バスを待っていると・・・そのビルから、飛び出して来る女性が・・

放送局 某放送局ウィキペディアより



 ginせんせーい ‼ ミ☆⌒ヽ(≧∇≦)ノダダダッ  支援員をしている小学校の5年生の担任でした。 


社会見学で放送局訪問中だそうで、児童の一人が、ガラス越しに私の姿を見つけて大騒ぎ(?)になったとか    


振り返ると・・・・.゚+.(・∀・)゚+.アッ


放送局のビルの中から、ガラスに張り付いて、37人の児童がちぎれんばかりに手を振ってくれています。

見学中にもかかわらず、飛び出して来てくれた先生・・・

こんな素敵な担任に教えられているから、みんな素直に育っているのね・・・ジーン ( ̄^ ̄) 感動中


もちろん思いっきり手を振りました!ブンブン ヾ(o´∀`o)ノ キャー映画スターになったみたい!

落ち込んだ気持ちが、ほっこり幸せな気持ちになりましたよ




フィリピン1 レイテ島1980年1月撮影


戦後30年、リリングさんの手紙から1年半、詳しくはこちら フィリピンに行ってみたいと思うようになった二十歳の頃


当時フィリピンには、太平洋戦争で戦死された日本兵の慰霊のための碑が、

生き残った方たちや家族会、戦友会の手で、あちらこちらに建立され、

戦跡の訪問が、言葉は悪いのですが、ブームのようになっていました。


フィリピン3 フィリピン4 フィリピン5 慰霊碑(ルソン島、レイテ島)


P.I.C(フィリピン・インフォメーション・センター)という   航空券、 宿泊ホテル、 現地ガイド

戦跡を回るための乗り物 (主にジープニと呼ばれる乗合自動車) と運転手、

などを 手配する戦跡を専門にした旅行社のようなものもありました。



病院跡 日本軍の病院跡?


ひょんなことから、前々回のブログでご紹介したHさんを含む

フィリピンの戦闘を生き抜いた5人の元パイロットたちと、戦跡を巡る旅にでることになりました。


初めての海外旅行だっただけでなく、人生最初で最後の通訳旅行となりました。  



4人の元パイロットと私・・Hさん撮影
 戦跡慰問成田 フィリピン2


1980年1月20日 14時 成田を発ったフィリピンエアは、現地時間17時にマニラ到着 (時差1時間遅れ)

飛行機を降りると、南国特有の湿った暑さが、まとわりつき   あまい花の香に包まれます・・・・  



 「 ミスターHさーん」  大きな声で、Hさんを呼ぶのは、以前カシグランに行ったときの現地ガイドのロミさんです。




これから、ルソン島、レイテ島、ネグロス島を一緒に回ります。

フィリピン7現地ガイドのロミさん



その日はマニラ泊、翌早朝レイテ島に向かいます。



昔の写真をスキャンしたので、画像はよくありませんが・・・

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レイテ島では、人生これも初、プロポーズをされたり、映画スターと間違えられたり・・・・・・

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2017
11.04

「ヨコハマメリー・・・かつて白化粧の老娼婦がいた 」

Category: 読書
ハロウィンの日は、地元の小学校支援の日・・・

この日はカリフォルニア出身のALT  Dさんと一緒にハロウィンの授業をします。 Dさんについてはこちら☆

アメリカの楽しく、恐ろしい、ハロウィンのビデオを見せていただき・・・次に

ハロウィンカボチャ ハロウィン仮装ウィキペディアより


Dさんが、子供たちにこんな説明をされていました・・・ アメリカのハロウィンはね・・・ 

   冬に入る前、祖先の霊が地上に戻ってくるこの時、

   一緒に悪霊が入り込むのを、かがり火を焚いて阻止したり・・・
 
   仮装して自分も霊の仲間を装ってやり過ごしたり、という習慣や、(ケルト?)

   死者を思って陽気に 仮装して、お菓子を備えて、歌ったり踊ったりする習慣(南米?)などが

   混ざっているのよ。アメリカは、 いろいろな国から移民した人が住む国だから・・・  

            (;゜0゜)  そうなんだ



この日の給食は、カボチャプリン付きでしたよ・・・v(o゚∀゚o)v
2017カボチャプリン 2017カボチャプリン (2)
 

 アメリカのハロウィンは異文化が融合したものだなんて・・・なるほど・・・目から鱗・・( ̄^ ̄) 私だけ?





映画「ヨコハマメリー」の中村高寛監督が、メリーさんや関係者に取材した折のこぼれ話や後日談をまとめた


   「ヨコハマメリー:かつて白化粧の老娼婦がいた」  を出版されたことを知り、早速求めました。

ハマのメリーさんとは、戦後50年間、顔を白く塗り、ドレスに身を包んで横浜の街角に立っていた老娼婦。

私も、昔お見かけしたことがあります。以前ブログにも記事にしました。 記事はコチラ→ハマのメリーさん☆

ヨコハマメリー中村高寛著





さっそく、気になるところを拾い読み・・・

故郷の老人ホームに入っているメリーさんの、穏やかな生活を乱してしまいかねない映画製作への葛藤や・・・


映画製作の協力者、メリーさんを慕ってお世話していた、ゲイでシャンソン歌手の元次郎さん。

元次郎さんが亡くなった時、

身内の希望で一切の儀式も、遺影もなくひっそりと火葬されることになることを知り、

火葬場に、監督をはじめ、俳優五大路子さん、高橋長英さん、

メリーさんの 写真集を出版した森日出夫など関係者30人あまりが駆けつけたエピソードなど・・・


じっくり読みたい一冊です。




フィリピン旅行記はちょっとお休みスキャナーを手に入れて、古い写真を載せたいので・・・次回にね!よろしかったらポチッと m(_ _)m
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2006年映画公開を待たず、元次郎さんは2004年、メリーさん自身も2005年に亡くなられています。

映画「ヨコハマメリー」は、
yokohama2.jpg


お二人が生きている間に、取材がやっと間に合ったそんな貴重な映画だったのですね。


これも、戦争の残した負の歴史・・・闇に埋もれてしまわないでよかった・・・・




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