2017
11.10

フィリピン戦跡訪問・・・ 真冬の東京からマニラへ

ちょっと・・いや、かなり落ち込むことがあって・・・いつもより遅い電車で、お勤め仕事に向かいます。

某放送局の、ガラス張りのビルの隣で、バスを待っていると・・・そのビルから、飛び出して来る女性が・・

放送局 某放送局ウィキペディアより



 ginせんせーい ‼ ミ☆⌒ヽ(≧∇≦)ノダダダッ  支援員をしている小学校の5年生の担任でした。 


社会見学で放送局訪問中だそうで、児童の一人が、ガラス越しに私の姿を見つけて大騒ぎ(?)になったとか    


振り返ると・・・・.゚+.(・∀・)゚+.アッ


放送局のビルの中から、ガラスに張り付いて、37人の児童がちぎれんばかりに手を振ってくれています。

見学中にもかかわらず、飛び出して来てくれた先生・・・

こんな素敵な担任に教えられているから、みんな素直に育っているのね・・・ジーン ( ̄^ ̄) 感動中


もちろん思いっきり手を振りました!ブンブン ヾ(o´∀`o)ノ キャー映画スターになったみたい!

落ち込んだ気持ちが、ほっこり幸せな気持ちになりましたよ




フィリピン1 レイテ島1980年1月撮影


戦後30年、リリングさんの手紙から1年半、詳しくはこちら フィリピンに行ってみたいと思うようになった二十歳の頃


当時フィリピンには、太平洋戦争で戦死された日本兵の慰霊のための碑が、

生き残った方たちや家族会、戦友会の手で、あちらこちらに建立され、

戦跡の訪問が、言葉は悪いのですが、ブームのようになっていました。


フィリピン3 フィリピン4 フィリピン5 慰霊碑(ルソン島、レイテ島)


P.I.C(フィリピン・インフォメーション・センター)という   航空券、 宿泊ホテル、 現地ガイド

戦跡を回るための乗り物 (主にジープニと呼ばれる乗合自動車) と運転手、

などを 手配する戦跡を専門にした旅行社のようなものもありました。



病院跡 日本軍の病院跡?


ひょんなことから、前々回のブログでご紹介したHさんを含む

フィリピンの戦闘を生き抜いた5人の元パイロットたちと、戦跡を巡る旅にでることになりました。


初めての海外旅行だっただけでなく、人生最初で最後の通訳旅行となりました。  



4人の元パイロットと私・・Hさん撮影
 戦跡慰問成田 フィリピン2


1980年1月20日 14時 成田を発ったフィリピンエアは、現地時間17時にマニラ到着 (時差1時間遅れ)

飛行機を降りると、南国特有の湿った暑さが、まとわりつき   あまい花の香に包まれます・・・・  



 「 ミスターHさーん」  大きな声で、Hさんを呼ぶのは、以前カシグランに行ったときの現地ガイドのロミさんです。




これから、ルソン島、レイテ島、ネグロス島を一緒に回ります。

フィリピン7現地ガイドのロミさん



その日はマニラ泊、翌早朝レイテ島に向かいます。



昔の写真をスキャンしたので、画像はよくありませんが・・・

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レイテ島では、人生これも初、プロポーズをされたり、映画スターと間違えられたり・・・・・・

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