ガイド研修・・貞照寺と萬松園
貞照寺は、日本初の女優川上貞奴さんが自ら建立し、自分の墓所としたお寺です。
成田山貞照寺

そして同じ年・・・東京に居を移していた貞奴さんが、
貞照寺にお参りをする際に滞在する別荘として建設したのが 萬松園。
道路をはさんで東側にある萬松園

別荘としては、けた外れの規模を持つ、大変美しい贅を尽くした建物です。
萬松園の和室。

貞奴さんが私財をなげうって、この地に菩提寺と別荘を建てたのは、
木曾川を望むこの地に、特別な思い入れがあったから・・・
萬松園からは、木曾川が見える。

まだまだ、、水力発電が珍しかった時代・・ 後に電力王と呼ばれる福沢桃介氏は、
木曾川を開発して発電所を建設しよう・・という大きな目標に向かって動きます。
建物の一部には、かやぶき屋根の田舎家も

日本に技術のないダム建設のために海外から技術者を呼び、
木曾川の水利権を手に入れ、足りない資金を外資で調達するために、奔走し ・・・
木曾川にダム式発電所を含む7つの発電所の建設に成功します。

その桃介氏を助け、支えたのが貞奴さんです。(夫川上音二郎氏はその7年前に死去)
実は二人は、若い頃にお互い恋心を抱きながらも。それぞれ別の人と結婚します。

桃介氏は福沢諭吉氏の娘と結婚し、福沢姓を名乗り、
川上一座の座長と結婚した貞奴さんは、海外公演で女優1号として大成功します。
貞奴さんは紅葉が好き・・・」

・・・と、二人のエピソードは尽きぬのですが・・・
2人は、木曾川開発のため名古屋に拠点となる二葉御殿をたてて、一緒に暮らし始めます・
貞奴さんは、海外からの技師や財界人などの接待を一手に引き受け、
桃介氏の健康管理をし。自らも織物工場を経営し、木曾川開発を支えたのです。
貞照寺 川上貞奴霊廟前

桃介氏は、1938年、東京の本邸にて満69歳で死去。多摩霊園に葬られます。
一方、貞奴さんは、1946年、75歳で死去。
、桃介氏との思い出の地に自ら建立した貞照寺に、埋葬されています。

この潔さ・・・考えさせられます。
萬松園内 サクラ テーブルでランチ

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大切な友人達の病気の知らせが、立て続けに入り
真剣にいろいろな事を考えた一週間でした。
私の身の回りにも変化の兆しが・・・それはまた次回にでも・・