杉原千畝展・・・命のビザとティーセット2

ボランティアの初会合の日、仲良しガイド5人組(一人欠席)で、新年会を兼ねたランチ
ランチの後、名古屋城に初登城。 家康殿に遭遇 (笑)


普段は非公開の国の重要文化財 国宝 東南隅櫓(築1612年頃)が公開されていました。


さてお城の東側名古屋東区では、戦前海外向けの輸出陶磁器の80%以上が絵付けされていました
輸出陶磁器について調べていた時、バンクーバー新報の杉原千畝ビザと東区の陶磁器に関連した記事を偶然知りました。

カナダ在住のアランさんは成人してから、13歳の時亡くなった父親がポーランド生まれで、
大戦中、リトアニアからウラジオストックを経て 日本経由でカナダに入国したことを知ります。
後年インターネットで杉原千畝ビザのこと知り、時期と経路がビザの話と一致することに気が付き
杉原千畝に関する本を読んでみると、
本に掲載されている千畝ビザで日本に渡ってきた人々の写真に、父親が写っていたのでした。
DVDも出ているのですね。
、

実際の経過はもう少し複雑で、父親は日本に入ってからポーランド避難民を助ける仕事に従事したため、
しばらく神戸にとどまり、日本から北米行の最後の船(以後戦時中は当然ですが運休)には乗船できませんでした。
それで、1942年8月頃上海へ渡り、その後 香港→インドネシア→オーストラリア→米国 と移動し、
カナダBC州にたどり着いたのは、翌年の3月だったそうです。
その父親が日本で手に入れ、大切に持ち歩いたティーセットがあります。
実物では、ありませんがこんな図柄のセットです。(画像はインターネットより)


アランさんが、名古屋の陶磁器意匠センターに問い合わせたところ、
裏印と装飾の技法から、名古屋東区にあった「(株)ヤマスボシ鈴木商店」で製造されたものであるとわかりました。
日本から数か国を経由してカナダに移住するまで、欠くことなく大切に運ばれたティーセット。
アランさんの父親の思いが、胸に迫る記事でした。
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1980年代、円高により輸出陶磁器産業は衰退し、
600以上あった輸出陶磁器の商社や絵付け工場は、東区から消えてしまいました。
「(株)ヤマスボシ鈴木商店」も、1984年に廃業しています。