象が歩いた街道・・・美濃街道ワイワイ研修
暖かい春の一日、先輩ガイドのM.I さんの案内で、美濃街道沿いの神社や寺院を尋ねました。
出発は浄心寺。 交通量の多い交差点にあるのに、なんだか別世界。浄心という地名の由来となりました。

名古屋城三之丸にあった尾張藩家老志水家の玄関車寄せ

志水家は、尾張初代藩主義直の生母、お亀の方の実家です。
明治初め、大矢家が歴史的建造物保護のため、表門として現在の場所に移築改造しました。
こんなに立派な門が残っているなんて ♪ (*´∀`人 ♪ 一同大興奮!
街を歩くと、こんなところに 役行者…足のリアルさが見事です。

戦国武将、丹羽長秀邸址

丹羽長秀は、信長の家臣の中で 最初に城持ちになった優秀な武将。
本能寺の変以降は豊臣秀吉につかえますが、最後は寄生虫に苦しんだ挙句、割腹して亡くなったとか・・・
児玉白山神社

ここから美濃路に入ります。
美濃路は、東海道と中山道を結ぶ全長58㎞の街道です。
街道沿いに宿場町の名残の商家や民家が立ち並び、寺院や神社が点在しています。
橋げたに囲まれた白山神社

神社の周りを囲うのは、笈瀬川にかかっていた橋の欄干です。
珍しいお菓子の神様をまつった御社です。

江戸の昔に思いをはせて 八坂神社、八幡社,清音寺などを回りました。
今は車の往来が絶えないこの美濃街道は、
信長の桶狭間、秀吉の小田原征伐、家康の関ケ原の戦いで凱旋した街道となりました。
江戸時代には、将軍に献上されるお茶が運ばれ、参勤交代の大名行列が通ることもありました。

享保13年(1728)には、ベトナムからの献上品の象が、長崎から江戸へ行く途中に この美濃路を通ったそうです。
その様子が、尾張名所図会に見られます。

象を率いた一行は、さぞかし目を引いたことでしょうね。
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